サッカー日本代表・「監督の覚悟」

 津軽のシニアブロガーにして俳人、津軽わさおは、戦争直後の昭和生まれの男だ。男だから、女性の考え方はよく分からない。が、戦争直後の昭和生まれの男の考え方は分かる。ような気がする。

 例えば、最近における日本企業のトップにある者がしでかす不祥事を観ていると、彼らは、どうも儲け主義に毒されているようだ。企業のトップにある者としての責任を自覚していないように映る。

 彼らと異なり、戦争直後の昭和生まれの男は、常に責任を意識させられる中で社会的に育てられてきた。

 こうした男は、時として、すべてをかけて事に当たる。極端に言えば、すべての中には自らのいのちが含まれることだってある。

 ギリギリの部分では、誰も助けてくれない、というか、誰も助けれない状況下、事に当たるのは、自分一人だ。そんな時、男は、ふと寂しさを意識する。しかし、その瞬間、即刻、それを振り払う。なにくそ。そして、結果は考えない。やるだけだ。


 リオデジャネイロ五輪のサッカーのアジア最終予選。2016年1月26日の準決勝、対イラク戦。日本は、2-1で宿敵を下し、6大会連続10度目の五輪出場を決めた。

 それにしても、手倉森ジャパンは、日の丸を背負い、さまざまな苦闘の果てに、計り知れないプレッシャーの中、よくぞ五輪出場を勝ち取ったものである。

 手倉森誠監督は、青森県三戸(さんのへ)郡五戸(ごのへ)町出身で、県立五戸(ごのへ)高校で全国高校サッカー選手権大会のベスト8に輝いている。

 我が青森県出身者が、日本代表の若者たちを育て、采配をズバリズバリ決め、五輪出場へ引っ張ってくれたのは、実に晴れがましい。彼はさぞかし苦労されたことだろうな。


 青森県の地元紙、東奥日報は、2016年1月28日の朝刊に、手倉森誠監督の手記を掲載している。その中から監督の覚悟のほどが分かる部分を以下に掲げる。

「一度、考えたことがある。この挑戦に負けたら自分のサッカー人生が終わるな、と。五輪連続出場を途切れさせれば大きな汚点が付く。でも、それは大きな仕事をさせてもらっているということと裏返しだ。誰もができる仕事じゃない。怖がるなー。自分に言い聞かせて、戦ってきた。」

「J1仙台監督当時、東日本大震災を経験した。生きたくても生きられなかった人が多く犠牲になった。自分だけが苦しいなんて思いは一切消えた。生かされ、日本を率いる任務を与えられた。そのこと自体が幸せだ。」

「監督は技術だけでなく、人間性も育まなければならない。」「このチームでは代表精神を強調してきた。」「昨年10月の佐賀合宿で病院を慰問した時、日の丸のジャージーを身に着けるわれわれは、皆さんの生きがいにならないといけないと言い聞かせた。代表選手は自分の感情だけで生きてはいけない。若い選手を育てるには、それに気付かせることが重要だ。」

「選手として花を咲かせられなかった分、指導者として恩返ししたい。五輪でメダルを取れれば国民が誇りに思えるはずだ。日本の歴史を変え、将来を担う選手たちの可能性を示したい。」

 手倉森誠監督は、1967年11月生まれの48歳だ。まだまだ若いが、大したものである。人生のすべてをかけ、選手の将来を思い、国民の誇りのため、リオ五輪出場を決めるとともに、メダル獲得に挑む。

 これは、まるで、戦後直後の昭和生まれの男の考え方のようである。そうした手倉森誠監督の覚悟のほどが、実に尊い。
 


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