わさおの俳句教室日誌・「冬籠」~16.01.27分

 1月27日の俳句教室においては、兼題の「当季雑詠」で3句詠み、席題の「冬籠(ふゆごもり)」で1句詠むという珍しいやり方である。

 席題の「冬籠」とは、ネットの「季語・冬籠 - 季語と歳時記」に曰く。

雪国などでは冬の間、戸外へ出ず家に籠って暮らすことが多くなる。炬燵に入って本を読みふけったり、囲炉裏端で春にむけての畑仕事の準備をしたりしながら、長い冬があけるのを待つのである。


 しかし、雪国である津軽のシニアブロガーにして俳人、津軽わさおは思う。季語と歳時記に説明されている「冬籠」は、実感として理解できない。

 津軽わさおの理解からすれば、自分が生まれ育ってきた津軽では、「冬の間、戸外へ出ず家に籠って暮らすことが多く」はならない。もちろん、冬以外の季節とは異なるものの、人々は、「家に籠って暮らす」ことなく、学校や職場や仕事において一生懸命である。

 そりゃ農業に従事する人々は、「囲炉裏端で春にむけての畑仕事の準備をしたり」することはあるかもしれないが、そもそも「囲炉裏」なんてものは、生活の場から消え去って50年も経つのではないだろうか。農業に従事する人々の春に向けての準備は、さまざまにあるのであって、彼らは、屋外でもエネルギッシュにそれらに取り組む。

 だから、季語と歳時記に説明されている「冬籠」という言葉は、今時点では、死語と言っていいだろう。だけど、俳句の世界においては、「冬籠」に限らず、今時点ではどうかと思われる季語でも、季語として大事にされている。

 俳句の世界は、なにかと保守的な傾向が色濃いのではないだろうか。

 「冬籠」を題として1句詠めとなると、詠まざるを得ない。そうなれば、遠く戦前以前の日本の生活ぶりに思いを馳せ、想像で詠むという手がある。それか、現時点における「家に籠って暮らす」という仮想の世界を設定し、1句となる。


 以下に、1月27日の俳句教室におけるわさおとKさんの俳句を掲げる。

津軽わさお作

 海峡の冬凪ぐ先は北海道

 冬凪や国後島に手が届く

 冬凪の津軽のことは太宰に訊け

 晩飯はチンに任せて冬籠
 


Kさん作

 
 寒の水ごくりごくりとしみわたり

 槍烏賊の刺身の甘さ皺笑う

 鮟鱇と向き合う母子泣き笑い

 安じられ杖共共に冬籠




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