俳句ポスト投稿の勉強・「ほとびにけりし橋のうへ」  

 俳句集団「宇宙(そら)」は、2015年9月29日、津軽の地に誕生した。

 今のネット社会を踏まえ、俳句作りの研鑽、活躍の場は、専ら「俳句ポスト365」への投稿による。

 「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトである。その選者は、TBSで木曜日放送のプレバトでお馴染みの、当代超一流の俳人、夏井いつき先生だ。

 日本全国広しと言えども、俳句作りの学びの場として、「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバト→「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバトといった、言わば循環学校に勝るものはない。

 津軽わさおのこれまでの人生による経験則が、そう言わしめる。だから、俳句集団「宇宙(そら)」は、「俳句ポスト365」への投稿によって、日本全国を視野に入れつつ、挑戦しているつもりである。


 「俳句ポスト365」においては、各回の月曜日から金曜日までのすべてが勉強になる。そのうちでも、とりわけ金曜日発表の天の俳句1句、地の俳句9句及び夏井いつき先生の講評が大変重要だ。その中から、自分の俳句作りとの関連で、何を学ぶか。

  「俳句ポスト365」の第151回 2016年7月7日週の兼題は、「鵙の贄(もずのにえ)」である。兼題の説明に曰く。

鵙の贄(秋の季語)「もずのにえ」。肉食の小鳥である鵙が、その習性として、捕らえた虫や、蛙、蜥蜴などの小動物を木の枝などに刺しておいたもの

 津軽わさおは、今回の「鵙の贄」で、俳句の作り方における過去の助動詞「き」の連体形「し」の使い方を学んだ。


 何事も勉強の意味で、地の俳句9句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 鵙の贄ほとびにけりし橋のうへ   地選   夜市   

  品詞分解をすると「ほとび/に/けり/し」となります。「ほとぶ(潤ぶ)」は、水分をふくんでふやけること。「ほとびにけり」は、「ふやけてしまった」というニュアンスです。

  が、さらに「し」(=過去の助動詞「き」の連体形「し」)が添えられていますね。ただこの助動詞を存続の意味で使うケースもあり、俳句界の論争の一つにもなっております。

  この句にとって、どちらの読みがシアワセかと考えた時、存続の意味で読むのがよいかと思います。

  干からびていた「鵙の贄」が「ほとび」てしまったのは、驟雨でしょうか、野分の雨でしょうか、滂沱たる朝露でしょうか。干からびた「鵙の贄」を詠んだ句が多い中で、たしかにこのような光景もあるなと思わせるオリジナリティとリアリティ。

  下五「橋のうへ」がさらに光景を確かなものにします。川風を感じる「橋のうへ」、岸から突き出した枝に「鵙の贄」も揺れています。


 以上に関する津軽わさおの勉強したところを以下に掲げる。

 掲句は、「鵙の贄」の贄そのものだけを描写するのではなく、「鵙の贄」が置かれている周囲の場を含めて詠み込んでいる句である。

  「ほとぶ(潤ぶ)」は、水分をふくんでふやけること。「ほとびにけり」は、「ふやけてしまった」ということ。したがって、「鵙の贄ほとびにけり」=「鵙の贄がふやけてしまった」である。

 問題は、「鵙の贄ほとびにけり」の次に「し」が続く。「し」(=過去の助動詞「き」の連体形「し」)は、過去の助動詞として使うほかに、存続の意味の助動詞として使うケースもあり、俳句界の論争の一つになっているという。

 「し」を過去の助動詞として読むか、存続の意味の助動詞として読むかによって、「鵙の贄ほとびにけりし」の意味合いが異なる。

 過去の助動詞として読むと、「鵙の贄ほとびにけりし橋のうへ」=「鵙の贄がかつてふやけてしまった橋のうへ」となろう。存続の意味の助動詞として読むと、=「鵙の贄がふやけてしまっている橋のうへ」となろう。

 
 今回、「し」を過去の助動詞として使うほかに、存続の意味の助動詞として使うケースもあることを知ったのは、大きな収穫である。

 そして、「鵙の贄」がまだ生身であること、「鵙の贄」が干からびていること、「鵙の贄」が干からびていること→ふやけてしまっていること、のどの段階で捉えるかは、句のオリジナリティとリアリティに影響する。

 
 更に、掲句は、下五「橋のうへ」を持ってくることによって、光景をより確かなものにする。「橋のうへ」は、川風を感じさせ、岸から「橋のうへ」へ突き出した枝に「鵙の贄」が揺れている。

 それにしても、掲句の作り方は、上手いもんだねえ。



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