わさおの俳句教室日誌・「海霧(じり)」~16.06.22分

 昨年の春、小学校5年生時以来の親友、Kさんが数年来俳句修業に勤しんでいることを知った。驚いた。それに触発され、20155月13日から、Kさんと一緒の俳句教室に通い始めた。

 直接の動機は、Kさんと、月2回の俳句教室で遊べるからである。それとともに、今は、我が俳句作りの上達にいくらかでも役立てばとの思いだ。

 津軽わさおにとって、月2回の俳句教室は、俳句修業におけるほんの一部分にすぎない。俳句教室における高点句の中には、俳人、津軽わさおの俳句作りに参考になるものは、もちろんあるが、まったくならないものもある。

 何を詠んでいるのか意味が分からない句は、参考にならない。が、そんな句に結構票が入る。

 下手な歌謡曲にありそうな表現は、参考にならない。が、そんな句に結構票が入る。

 暗い俳句は、参考にならない。うらぶれた人生だとか、人生の先が懸念されるとか、苦しいとか、病気だとか、年老いたとか。が、そんな句に結構票が入る。

 もちろん、わさおとKさんが作る句には、意味不明なとか暗いとかの俳句はない。

 人それぞれなので、何を俳句に詠もうが、どう詠もうが、作者の自由である。だから、津軽わさおとしては、自分が目指す俳句作りに参考になる俳句を選び、勉強させてもらっている。


 俳句教室に通い始めてから、1年1か月が過ぎた。これまでを振り返って思うのだが、人はなぜ何を詠んでいるのか意味が分からない俳句を作るのだろうか。

 俳句は、抒情詩つまり作者の思いや感情を表す詩である。それは、読者にとって何を詠んでいるのか意味が分からなければならない。

 俳句を作り、それを対外的に発表するのは、自らの思いや感情を受け止めてほしいとの願望に基づく。しかるに、何を詠んでいるのか意味不明の句は、読者が受け止めようにも受け止めることができない。したがって、意味不明な俳句は、作者の独りよがりにすぎない。

 世の中には、以上のことを理解できないような俳人がいるのは、残念なことである。


 
 6月22日の俳句教室においては、兼題は「海霧」、「蝸牛」、「当季雑詠」であり、席題は「水羊羹」である。

 「海霧」は、夏の季語で、海上に発生する霧を指す。「海霧」の読み方は、うみぎり、かいむ、じりである。下記の掲句中では、「じり」と読む。

 同日、Kさんは、所用のために欠席したので、以下にわさおの俳句を掲げる。

津軽わさお作

 待つ我を蔽う海霧湧く君が浜

 憂き世こそ急かず騒がず蝸牛

 濡れ色の女船頭梅雨の郷

 甘口を凛とさせてや水羊羹

 



 
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