わさおの俳句教室日誌・「バッタ」~15.09.09分

 9月9日の俳句教室においては、兼題は「栗」、「バッタ」、「当季雑詠」、席題は「新酒」である。

 まず、俳句作りに関するこれまでの勉強の成果を以下に述べる。

 抒情詩は、詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。俳句は、抒情詩の一つである。

 抒情詩には、直接内面を表現するものに対し、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものがある。俳句は、後者のものである。

 俳句が直接内面を表現するものでなく、風景や事物に託して内面を表現するものであるのは、五七五のたった十七音字による詩だからと理解する。たった十七音字だから、短歌と違って、直接内面を表現する字数の余裕がない。


 俳句で、直接内面を表現していると、そのほかの表現に厚みや深みを持たせることができなくなってしまう。

 だから、逆に言えば、嬉しい、悲しい、寂しいなどと自分の感情を直接表さない。

 そして、表現に厚みや深みを持たせるためには、風景や事物に関し、報告する、説明する、理屈を述べる、といったことはしない。報告する、説明する、理屈を述べる、といったことでは、表現が平板なものになり、味わいが薄くなってしまう。

 俳句は、抒情詩として、詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩である。その際、読者が捉える詩人の内面的な世界が限定される表現はしないようにし、読者がいろいろさまざまに想像できるようにする。

 読者がいろいろさまざまに想像できるということは、俳句に寄せる読者の共感が広くなることを意味する。ここが大事である、


 以下に、俳句教室におけるわさおとKさんの俳句を掲げるが、津軽わさお作の句は、前述の俳句作りのポイントに照らせば、まあまあと考えている。


 津軽わさお作

 百歳を祝う今年も栗きんとん

 七十年バッタも肥えて米余り

 東京五輪先人想う秋あわれ

 震災のふるさと遠くまた新酒



 Kさん作
 
 両手足器用にうごき栗拾う

 草原の王者のごときとぶ飛蝗

 黄金の田赤石川を母として

 新酒飲み老婆にっこり赤き顔




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