わさおの俳句教室日誌・「枝豆」~15.09.02分

 9月2日の俳句教室においては、兼題は「枝豆」、「二百十日」、「当季雑詠」、席題は「茸」である。

 二百十日(秋の季語)とは、「季語と歳時記」に曰く。

立春から数えて二百十日目をいう。新暦九月一日ころにあたる。台風シーズンの到来が、稲の開花時に当るため特に警戒したものである。二百二十日とともに稲作農家にとっては厄日とする。

 以下に、俳句教室におけるKさんとわさおの俳句を掲げる。


 Kさん作
 
 枝豆を小さなお手てにぎりしめ

 平成の二百十日はきびしけり

 減反が見事なコラボそばの花

 先人の試した茸食す我



 津軽わさお作

  枝豆でホッと一息縄のれん

 二百十日ラストスパートの気を入れる

 のうなしの日本農政秋の風

 朝の膳なめこ汁干し元気出る



 9月2日の俳句教室から1か月が経つ。津軽わさおは、月に2回の俳句教室、原則毎週の「俳句ポスト365」への投稿を通じ、連日猛勉強中である。ちなみに、「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトであり、全国から投稿が集まる。

 この間の勉強の成果を以下に述べる。

 まず、フリー百科事典のウィキペディアの説明に基づけば、詩は、抒情詩、叙事詩、劇詩の三つに区分される。

 抒情詩は、詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。叙事詩は、物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つ。劇詩は、戯曲形式で書かれた詩である。

 抒情詩には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある。

 このウィキペディアの説明を踏まえ、我考えるに、抒情詩のうち、自由詩、五行詩、短歌は、直接内面を表現するものである。これに対し、俳句、川柳は、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものである。

 俳句、川柳が直接内面を表現するものでなく、風景や事物に託して内面を表現するものであるのは、五七五のたった十七音字による詩だからと理解する。たった十七音字だから、短歌と違って、直接内面を表現する字数の余裕がない。

 俳句で、直接内面を表現していると、そのほかの表現に厚みや深みを持たせることができなくなってしまう。

 だから、逆に言えば、嬉しい、悲しい、寂しいなどと自分の感情を直接表さない。

 そして、表現に厚みや深みを持たせるためには、風景や事物に関し、報告する、説明する、理屈を述べる、といったことはしない。報告する、説明する、理屈を述べる、といったことでは、表現が平板なものになり、味わいが薄くなってしまう。

 前述の津軽わさお作の掲句は、総じて、今述べた難点があり、併せて、抽象的すぎて具体性に欠ける部分がある。

 以上、大いに反省する次第である。


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