ようやく春爛漫・「空飛ぶ梅は京都から」

 2014年は、2月に2度にわたって関東甲信地方を大雪が襲うという異常気象でスタートした。その影響で、春分が過ぎても遠い春といった陽気が続いた。が、日本列島は、ここにきて、ようやく春爛漫の雰囲気に包まれつつある。

 
春爛漫の主役の一つは、梅である。梅は、古来、日本人に愛され、日本精神に不可欠の花である。
 

 主命とは 主人・主君の命令をいう。古来、主命は守らなければならないとされてきた。

 
 「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 

 平安時代の貴族、学者、文人、政治家である菅原道真(すがはら の みちざね)が詠んだ和歌である。

 菅原道真は、代々学者の家系に生まれ、長じて学者、文人それに政治家として卓越した能力を発揮した人物であった。醍醐天皇の時に右大臣に上り詰めるなど、異例の出世を果たす。

 しかし、そこで、政治的な暗闘、学閥の抗争に巻き込まれた。時の権力者は、かの藤原氏である。延喜元年(901年)、道真は、左大臣藤原時平の讒言(ざんげん)により、北九州の大宰府の地に左遷されてしまう。

 京の都を去る時、菅原道真は、無念の胸中を歌に詠んだ。

 「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 

 春になって東風が吹いたなら、その風に託して大宰府の私のところに香りを送っておくれ、梅の花よ。主人の私が都にいないからといって、咲く春を忘れてはならないよ。

 「春な忘れそ」の「な○○そ」という語法は、「○○するな」という禁止を表す用法である。「な忘れそ」は、「忘れるな」という意味だ。

  
 菅原道真は、延喜元年(901年)に大宰府の地に左遷された2年後、延喜3年(903年)、不遇のうちに現地で没した。

 道真に「春な忘れそ」と言いつけられた「梅の花」は、その後、どうしただろうか。


 飛梅(とびうめ)伝説というものがある。

 伝説の語るところによれば、菅原道真が京都を去った後、道真を慕う梅と松は、日が経つにつれ、道真の後を追いたい気持ちをますます強くした。

 そして、ある日、梅と松は、空を飛んだ。ところが、松は、途中で力尽き、摂津国八部郡板宿(現兵庫県神戸市須磨区板宿町)の丘に降り立ち、その地に根を下ろした。しかし、梅は、元気にその日のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでいき、その地に降り立ったという。

 太宰府天満宮の本殿前の左近(本殿に向かって右側)に樹齢1,000年を超えるとされる白梅がある。太宰府天満宮の神木である。

 飛梅伝説によれば、太宰府天満宮の梅の神木は、京都から一日にして空を飛んできたという。しかし、飛梅伝説にクレームをつけるのではないが、単純に、京都の梅が太宰府まで飛んでいったとすれば、梅は、菅原道真の言いつけ、主命を守らなかったことになりはしまいか。

 菅原道真は、梅に、「春になって東風が吹いたなら、その風に託して大宰府の私のところに香りを送っておくれ、梅の花よ。主人の私が都にいないからといって、咲く春を忘れてはならないよ」と言いつけたのだ。

 それに対して、京都から太宰府まで空を飛んでいってしまえば、まずいんじゃないの?

 したがって、「梅の花」は、考えに考えた。その結果は、自らを株分けし、京都に残るものと、太宰府まで飛んでいくものに分かれた。

 現に、京都の菅大臣(かんだいじん)神社の本殿前に紅梅がある。菅原道真を祀る同神社。この地には道真の邸宅があったとされ、道真の生誕の地とも伝えられる。

 つまり、太宰府天満宮の本殿前の白梅は、飛んでいった梅であり、京都は菅大臣神社の本殿前の紅梅は、飛んでいかなかった梅である。その白梅と紅梅は、空を飛ぶことに関わるという意味で、両方とも、飛梅である。

 しかも、かたや京都は紅梅、こなた太宰府は白梅。そのコントラストは、まさに日本の美である。


 菅原道真の没後、千百年以上、かたや、京都にある紅梅の「梅の花」は、道真の言いつけを守り、咲く春を忘れない。東風に託して大宰府の道真の許へ香りを送り続けている。

 こなた、道真を慕い、太宰府に飛んでいった白梅の「梅の花」は、道真の許でお仕えし続けている。

 千百年以上の時を経た今も、京都の菅大臣神社の紅梅、太宰府天満宮の白梅を訪れる人は、ひきもきらない。

天神様の笑顔が見える。

 

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